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宇都宮地方裁判所 昭和42年(ワ)167号 判決 1969年1月24日

主文

被告は原告に対し金三三万円およびこれに対する昭和四二年五月二六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告、その余を被告の負担とする。

この判決は原告勝訴部分に限り仮りにこれを執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金五九万九、八一三円およびこれに対する昭和四二年五月二六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決および仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求めた。

原告訴訟代理人は請求原因として、つぎのとおり主張した。

一、(事故発生)

被告は昭和四一年四月二七日午前八時頃自家用普通貨物自動車(栃四な八九二五号。本件自動車と略称する。)を運転し、栃木県鹿沼市下田町一丁目一、〇三〇番地先県道上を時速約二〇キロメートルで下田町方面から貝島町方面に向け進行中、左折しようとするに際し、原告(昭和二八年七月二八日生、当時一三年)が自転車に乗車し同一方向に向け進行しているのを追越した直後、左折措置をとつた結果自車左側を原告の自転車前部に衝突させ、原告を道路北側の側溝に転落させ、よつて同人に対し右大腿骨骨折の傷害を負わせた。

二、(被告の過失)

本件事故は被告の過失により発生したものである。すなわち、本件事故直前被告は左折しようとしたのであるが、そのとき被告は同一方向に向い自転車で進行する原告を追い越した直後であるから、一時停車して同人の通過を待つて左折するか、または同人の進路に注意して安全を確認した上で左折し、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるにかかわらずこれを怠り、漫然左折措置をとつたことにより本件事故が惹起されたのである。

三、(傷害および後遺症)

原告は本件事故により前記傷害を受けたがこれを治療するため、事故直後から昭和四一年八月七日まで上都賀病院において入院、治療し、一たん退院した後同四二年一月一六日から同月二八日まで再度入院治療した。右治療により傷害は一応治つたが、そのため右足が従来よりも三センチメートル程短くなり跛行が避けられないという後遺症がある。

四、(損害)

原告が本件事故によつて被つた損害は左のとおりである。

(一)  原告は前段主張のとおり二回にわたり入院治療したが、その日数は合計一一六日に当る。その間の治療費そのものは被告が負担したので原告は支出を免れたが、原告の母親ステが入院期間中家事および日雇を放棄して附添看護した。ステは元来外で働けば一日金六〇〇円の収入がえられたのに右期間これを失つた。よつてこのことによつて生じた損害は合計金六万九、六〇〇円である。

(二)  右入院期間中の雑費のうち被告から直接買受先に対し支払われたものを控除しても、なお金三万二、二一三円の支出があつた。すなわち被告は原告が直接購入した物品代金等は原告に代つて支払つたが、原告の母が看護中その必要に応じて購入した雑貨類の代金等の雑費を支払わないのである。

(三)  本件事故による原告の精神的損害に対する慰藉料としては金五五万八、〇〇〇円が相当である。なお、右金額の算定に当つては諸般の事情のうち特に左記事情を勘案すべきである。

(1)  原告は元来学業成績もよく、感受性も強い女子中学生である。それが自らに全く責められることのない情況で本件事故に遭い、一一六日間も学業を休み、級友から取り残された。受傷の苦痛の外にこの苦痛と進級に対する不安は測り知れないものがある。退院後そのおくれを取り戻すため、相当期間夜間塾通いをして何とか級友の進度に追いつくことができたのである。

(2)  後遺症として跛行が残つた。これはこれから成人して希望の多い前途を迎えようとしていた原告にとつては、堪えられない苦痛、打撃であり、性格すら消極的になつてしまつている。事実中学校の科目中体育等は事故後、人並にやつてゆけず見学が多くなつている。

(3)  原告の家庭は貧しく、父母兄弟が全部働いて零細な賃料を集め、共同して生活することによりはじめて家計が維持せられているのである。よつて家族の一員の減収は直ちに直接全家族の生活に重大な脅威となるのが常況である。ところで本件事故に伴う看護雑事の処理のため原告の父は一〇日間外で働くことを妨げられた。同人は一日金八五〇円の賃料を得ていたのでこれは金八、五〇〇円の損失となる。また原告の兄精一は原告に輸血するため採血した。これがため同人は上都賀病院に四五日間入院し、一日金一、一〇〇円の割合による賃料合計金四万九、五〇〇円を得ることができなかつた。

五、よつて原告は被告に対し本件事故に基づく損害として金六五万九、八一三円の賠償請求権を取得したのであるが、被告からこれに対する内金として合計金六万円の支払を受けているのでこれを控除し、金五九万九、八一三円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四二年五月二六日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及ぶ。

被告訴訟代理人は答弁および抗弁としてつぎのとおり供述した。

一、(答弁)

請求原因第一項の事実、同第二項以下の事実中原告が上都賀病院において入院治療を受けたことおよび母ステが右入院中附添看護したことは認めるが、その他の請求原因事実は全部否認する。原告が本件事故につき被告その他から金品の給付を受けた旨の主張は全部被告の利益に援用する。

二、(抗弁)

原告親権者父福富一(以下父一という。)同母福富ステ(以下母ステという。)は共同して昭和四一年四月三〇日、原告のために被告と本件事故による損害賠償に関し、左のとおりの内容による示談の合意をした。

(一)  被告は本件事故により破損した自転車を修理した後、原告に返却する。

(二)  事故による傷害の治療費、入院費は一切被告において支払う。

(三)  被告は原告に対し入院中の附添費用として一ケ月金一万三、〇〇〇円の割合による金員を入院期間に応じて支払う。

(四)  本件示談金として被告は原告に対し金五、〇〇〇円支払う。

しかして被告は右示談の内容は全部履行した。すなわち、被告は右和解条項の履行として左のとおり金員を支出し又は原告に支払つた。

(1)  自転車修理代 金三、二〇〇円

(2)  医療費および入院費 金三六万〇、〇三七円

(病院に対し支払。)

(3)  示談金 金五、〇〇〇円

(直接原告に交付。これは慰藉料と解せられるべきである。)

(4)  附添費 金六万円

(直接原告に交付。)

(5)  諸雑費 金九、〇八一円

原告訴訟代理人は右抗弁に対する答弁として被告主張のとおり本件損害賠償の一部が履行済であることは認めるが、右は原告が本件損害賠償債務の内入金として既に支払われた旨先に自白している金六万円を除き、原告が請求原因の主張において損害額から控除して請求しているものであつて本件請求原因に対する抗弁にはならないものである旨答え、示談の抗弁事実を否認し、仮定的再抗弁として仮りに被告主張のとおりの内容の示談が外形上成立したとしても、これは原告の母ステか父一に相談することもなく独断で承諾したものであり、共同行使すべき親権を単独行使したものであつて無効である。仮りに右主張が認められないとしても、当時原告の家族は無知、無能力の者の集まりで多額の損害賠償請求権につき示談による賠償額の決定等処分行為をする能力を持つ者は一人もいず、本件事故につき如何程の賠償額の請求できるかすら解らず、相談する相手もなかつた。かつ一家をあげて働き出て細細と家計を維持する貧窮の状態にあり、そこへ多額の出費を予想される本件事故が発生したのであるから目前の治療費、生活費の捻出のため止むなく被告の提案に承諾せざるを得なかつたものであり、経済的、社会的弱者が困窮に陥いり自由な判断のできない状態のもとになされたものであり、効力を有しない旨主張した。

被告訴訟代理人は右再抗弁事実を否認し、「仮りに原告主張のように父一が示談に関与しなかつたとしても、同人は日常の業務一切を母ステに委せていたのであるから本件につき父一の同意があつたと同一に解釈すべきである。」旨主張し、更に仮定的再再抗弁として仮りに右主張が認められないとしても、父一は精神上の欠陥のため親権の行使ができなかつたから母ステにおいて単独行使が許されるばあい(民法第八一八条第三項但書)に該当すると主張した。

原告訴訟代理人は右再再抗弁を否認し、父一に精神的欠陥があることは認めるが親権の行使ができないばあいには該当しない旨主張した。〔証拠関係略〕

理由

原告主張請求原因第一項の事実につき当事者間に争いがない〔証拠略〕を総合すると、請求原因第二、三項の事実(但し右足が三センチメートル短くなつた点および跛行の後遺症があるという部分を除く。)を認定でき右認定を左右するに足る証拠はない。(後遺症については後段に説示する。)

そこで被告の抗弁につき考えるのに、〔証拠略〕を総合すると、つぎの事実が認定でき右認定を左右する証拠はない。(被告本人尋問の結果によると本件示談の成立に当り、父一と母ステが被告の交渉に応じ示談内容につき三者の意思が合致した上で本件示談書(乙第一号証)が作成された旨の供述があるが、右は福富一の本人尋問の結果および後段認定のとおり本件示談書の末尾にステが一の署名を代書してある事実に鑑み、にわかに措信し難い。)

(一)  本件事故発生後被告は自己の刑事処分を有利にするために原告との間に示談を成立させることを急いでいた。

(二)  原告の両親は貧しく、特に父親一は知能も一般人の水準に達せず生活力なく、母親ステが工員として勤務し、家計を支え、かつ家事一切を処理する外、日用品の買入、代金の支払その他対外的交渉等は同人が当り、父一が自ら当ることは通常なかつた。

(三)  本件事故についても父一は頼りにならないので母ステが単独で看護・治療費の調達等に当つたが、ステは原告の傷害が相当な重傷で治療費も多くなることが予想されること、急に多額の金員が必要になつたこと、家計はいわゆるその日暮しで余裕がなく、頼るべき親族等もないことからステの側においても最少限、治療費だけは早急に確保したく、そのため示談を急いでいたこと。

(四)  たまたま昭和四一年四月三〇日頃、被告から治療費は全部被告において負担するから示談しないかとの申し入れがあつたのでステは治療費をとにかく早く確保するのが急務だと考え他の条件等に思い及ばず、また父一に示談の内容を話して、その同意を得ることもしないままこれに応じ、前段摘示、被告の抗弁のとおりの内容および本件事故に関し、今後何らの請求をしない旨の記載のある示談書の末尾に被告の署名押印と並べて原告の代理人である旨肩書をつけた原告の父一の氏名が代書してある下に所携の福富名義の印章を押捺した。

(五)  訴外一は外に出て働いても収入が極度に少いこと、性格異常者に類する言動のあること等もあつて家族からのけ者にされ、右示談の事実について訴外ステから事後の報告も受けなかつた。

(六)  原告は当時一三才の未成年者であり、一は父、ステは母であること。

思うに、右示談は二つの和解契約から成り立つている。すなわち訴外ステと被告との間において本件事故に因り、右訴外人の固有の損害として発生した点に関し、右訴外人と被告との間に成立した和解(第一の和解という。)がその一であり、原告の固有の損害(すなわち精神的損害)につき原告と被告を当事者とし、母ステが原告の代理人となつて成立させた和解(第二の和解という。)がその二である。右認定の事実関係によれば、第一の和解は有効に成立している。(乙第一号証すなわち本件示談書には原告の代理人である旨明示して父一がこれに関与し合意した旨末尾に父一の氏名が記載され押印してあるが、法律の素養のない母ステによつてなされた右表示は母ステ自身が和解の当事者であることを排除する意思とは解せられない。)

原告は本件示談における母ステの意思表示は事故による困惑と経済的困窮のもとにおいて本来能力の低い者が更に正常な判断力を失つた状態でなされたものであつて無効である旨主張するが、原告が再抗弁において主張する具体的事実を全部前提しても、このばあいにおける母ステの意思表示が真意に基づかず無効なものであると判断することはできず、他にステの意思表示を無効とするような事実を認定せしめる証拠はない。

そこで第二の和解につき考えるのに、右認定の事実によれば原告が未成年者であり、父一と母ステが親権者として共同して親権を行使すべきにかかわらず、母ステのみが父一の同意を得ることなく、独断で成立させた和解であるから無効としなければならない。

被告はこの点につき父一は精神異常のため日常の業務一切を母ステに委せていたのであるから、母ステの行為は父一の同意を得て行つたものと同一に解すべきであると主張するが、前段認定のとおり、父一はたまに精神異常者に見られるような言動をすることがあり、そのため家族からうとんぜられていることは認めるが、一方前顕各証拠によれば家庭外で働いて収入を得ることもできる(福富一本人尋問の結果により明らかである。)のであるから日常生活に必要な少額の支出はステに委せていたとしても本件損害賠償の慰藉料額の決定その処分等重大な問題までステに委任していたと推定することはできない。

また被告が再再抗弁において主張する民法第八一八条第三項但書に該当する事実は本件で取り調べた全証拠によつても認定することができない。

そうすると本訴請求中母ステの損害を基礎とする請求原因第四項の(一)および(二)は前示第一の和解契約により放棄されたものであつて正当でないからその余の点につき判断するまでもなく、棄却すべきである。また請求原因第四項の(三)において主張する原告の精神的損害に基づく慰藉料の請求は前示第二の和解が無効であるから理由がある。そこで損害額について考えるのに、事故の態様、被害者の年令、性別、示談の経過賠償の状況、その他諸般の事情を総合考察するときは本件事故により原告の受けた精神的損害に対する慰藉料としては金三三万円が相当である。(原告は後遺症として事故後右足が三センチメートル短くなつたことおよび跛行を主張し、これに副う証拠もあるが、〔証拠略〕によれば仮りにそのような事実があつたとしても、これは本件事故と相当因果関係を有するものとは認められないから慰藉料の判定につき参酌しない。)

原告は本件請求原因に基づく損害金に対する内金として金六万円の支払があつた旨自白しているが、これは被告の主張によれば看護附添の費用として支払われたものであり、原告も明らかにこれを争わないから慰藉料に充当しない。また被告は抗弁として主張する示談において取り極められた示談金金五、〇〇〇円の支払は慰藉料の内容と解すべきである旨主張するが、前段説示のとおり右示談により原告の慰藉料につき何らの合意も有効になされていないのであるから右金五、〇〇〇円は本件慰藉料額から控除すべきではない。

以上のとおりであるから本訴請求は原告の慰藉料として金三三万円およびこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四二年五月二六日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を求める限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法第九二条を適用し、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 兼子徹夫)

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